• facebook
  • google
  • twitter
  • youtube
  • rss

沼津市口野にある謎の金櫻神社と金櫻山を探索(4)歴史編

Pocket

口野の建切網漁絵馬(豊春)

沼津市口野に金の櫻(桜)と書いて金櫻神社(かなざくらじんじゃ)いうという神社があります。金櫻神社と金櫻山を探索するシリーズ(4)は金櫻山と金櫻神社の歴史を探ってみようと、といっても手がかりが殆どないのですが、、、。

(1)~(3)はこちらです。
(1)金櫻神社編
(2)金櫻山編
(3)旧金櫻神社編



金櫻神社の歴史といっても、最初は金櫻山の山頂付近に鎮座していたが、昭和35五年に金櫻山の麓の現在地に移された、ということ以外はよくわかっていません。

唯一のとっかかりになりそうな情報として、金櫻山と金櫻神社が描かれた明治大正期の絵馬が存在するそうで。金櫻神社の歴史を知る手がかりになるかもしれないと思い、この絵馬が展示されている沼津市歴史民俗資料館に足を運んでみました。



御用邸記念公園
御用邸記念公園入り口

沼津歴史民俗資料館は御用邸記念公園の中にあり、公園への入場料として100円がかかります。資料館自体は無料です。入館時間は9-16時まで、日祝の翌日、月の最終平日、年末年始は休館日のようですのでご注意ください。

御用邸記念公園受付
御用邸の中に入ったのはずいぶん久しぶりな気がします。


「沼津垣」がありました。
沼津垣1

沼津垣2

沼津周辺で浜の潮風を防ぐために用いられてきた垣根。
沼津垣説明

資料館はこっち。
御用邸公園内

御用邸公園内の橋

御用邸公園内お休み処主馬

ウズアジサイがきれいです。
御用邸公園_ウズアジサイ


資料館に着きました。
沼津歴史民俗資料館



建切網漁の絵馬1
歴史民俗資料館では、内浦・静浦及び周辺地域の漁撈用具などが展示されております。

そして見たかったのはこの絵馬。
口野の建切網漁絵馬(一雲斎)

こちらは絵馬の板に貼られた和紙に描画されたものの複製です。所蔵は金櫻神社ですが、現在は本物も資料館に保管されているそうです。絵の大きさは、53.5cm(縦) × 83.5cm(横)とかなり大きなものです。

説明にはこうあります。
一雲斎絵馬の説明

『歌川市雲斎国秀画。明治40年(1907)、静浦地区の口野の金櫻神社に奉納された。口野のイカヅケという漁場で、桜の花の咲く頃に来るメジマグロの魚群を、網で囲い込んで捕る様子が描かれている。正面の金櫻山の山頂付近には金櫻神社の社殿が、山腹には魚群を見張る魚見の小屋がみえる。』


この絵馬に描かれた「建切網漁」とは、静浦の内三区(江の浦、多比、口野)や内浦地区で行われた漁法です。豊漁や漁の安全の願いを込めて、このような絵馬が金櫻神社に奉納されたようです。


絵馬を少し詳しくみてみます。

入江の中央に突き出した岬は、韮山の江川太郎左衛門が立切網漁見に来たという言い伝えのある「代官岩」(現在は釣りのスポットになっており、よく釣り人を見かけます)です。絵馬では一の鳥居が代官岩から少し左側に離れて描かれています。

ちなみに現在の代官岩と一の鳥居があった工事現場の位置はこんな感じです。角度的にわかりにくいですが、代官岩のほぼ正面やや左側に一の鳥居です。絵馬ではもっと離れてるようにみえました。
代官岩と工事現場(赤字)


金櫻山に描かれた鳥居と神社のアップ。
一雲斎金櫻山アップ

海辺近くに一の鳥居、山の中腹に二の鳥居、山頂付近に社殿があり、鳥居および社殿は朱色です。しかし数ヶ月前まで残っていた一の鳥居は、灰色のコンクリートだったはずです。二の鳥居の遺構は苔で緑になってましたが元はグレーだったと思われます。
⑬鳥居の一部?

また社殿には鳥居は見えません。狛犬や灯籠も描かれていないようです。




建切網漁の絵馬2
もう一つ、似たような構図の絵馬がありました。
口野の建切網漁絵馬(豊春)

説明。
豊春絵馬の説明

『豊春画。縮小したイカヅケアンドのマグロ建切網漁の様子が描かれ、中央の金櫻山の山頂付近には金櫻神社、中腹と右端の山腹には魚見の櫓とミネドン、左側には張り出した第澗岩がみえる。大正2年12月 絵部分:縦60 × 横91cm』

先程の一雲斎の絵馬と同様、所蔵は金櫻神社ですが、現在は歴民族資料館に保管、展示されているものは複製です。


1枚目の一雲斎の絵馬とこちらの豊春画の絵馬との違いがいくつかあります。まず構図が少し南側によっている点。中央やや左にみえる代官岩から南の半分の漁場が描かれています。そして鳥居および社殿が朱色ではありません。
豊春金櫻山


さらにアップにしてみるとわかりますが、山頂の社殿には鳥居が見えます。参道の石段も見えています。
豊春金櫻神社(赤字)


また代官岩と鳥居の位置は、実際の位置とほぼ一致してそうです。二の鳥居はほぼ中腹。一雲斎の絵馬よりも豊春の絵馬の方がより写実的に描かれているようにみえます。ということは実際には社殿の前にも鳥居があった可能性が高いのではないかと思われます。もう一度金櫻山に登った際には、鳥居の描かれている参道の階段をあがったあたりをよくよくみてみたいところです。

それから魚見については全くノーチェックでしたが、現在も何か残っているかもしれません。二の鳥居跡の右側(南側)も探ってみたいところです。


このような漁の様子を絵馬に描き、大漁祈願や漁の安全を祈願して神社に奉納されることは、奥駿河の漁村では昔から行われていたようです。例えば大瀬神社には絵馬殿があり、漁の様子が描かれた絵馬が飾られています。金櫻神社の説明にも「往古より海の守りが神として駿河湾沿岸の漁師の信仰を集め、海上安全・大量満足のご利益を祈願する参詣者が各地よりある」とありました。つまり金櫻神社は漁業を生業としている漁師とその家族たちに信仰されていたのでしょう。そこで思い出すのは旧金櫻神社社殿跡にあった鬼紋の「水」の文字です。金櫻神社は海の守り神だったわけですから、「水」の紋は何の違和感もありません。
⑦鬼紋「水」


歴史民俗資料館には他にもいくつかの漁の様子が描かれたパネルがありました。どれも興味深いです。

内浦長浜のマグロ建切網漁図。
内浦長浜のマグロ建切網漁図

久料若松漁場の大謀網漁の絵馬。
久料若松漁場の大謀網漁の絵馬

内浦村長浜漁場全図。
内浦村長浜漁場全図



金櫻神社の御札
絵馬以外にも何か金櫻関係のものがないか探していると、なんと金櫻神社の御札がありました!

甲斐国金櫻神社の御札


おお、すげええ!!

と思ってよくみたら、、、「甲斐国御嶽山」。これは山梨の金櫻神社の御札でした。たしかに山梨にも金櫻神社があるんですよねぇ。でもなんで山梨の金櫻神社の御札が、沼津の歴史民俗資料館にあるんでしょう??

しかも山梨と沼津の口野に同じ名前の神社が存在するというのも不思議なものです。山梨の金櫻神社と口野の金櫻神社は何か関係があるのでしょうか?

ん、この真ん中の御札の右上に「金峰山」とあります。金峰山とは奥秩父山塊のあの金峰山のことでしょうか?

思わずその場でググってしまいましたが、山梨の金櫻神社の本宮は金峰山の五丈岩なのだそうです。五丈岩といえば、何年か前に岩のてっぺんに登ろうとして途中までしか登れなかったあの五丈岩です^^w;金櫻神社のWikipediaには五丈岩が御神体との記述もありました。そう言えば、五丈岩の正面には鳥居があり、近くに小さな祠があったような気がします。

金峰山山頂の五丈岩。
104.金峰山_五丈岩



それにしてもなぜここに山梨の金櫻神社の御札が?と思ったら、すぐ横には口野の金櫻神社の御札もありました!

口野の金櫻神社の御札

そして説明書きをみて驚きました。
口野の金櫻神社説明

『武田氏の家臣であるとの伝承を持つ口野の旧家では、山梨県の金櫻神社の分社と認識しています』


!!!


なんですとー!!

口野の金櫻神社が山梨の金櫻神社の分社であるなら、口野の金櫻神社の本宮もあの五丈岩ということになるのでしょうか?

いやはや、ひょっとしたらとは予想はしていましたが、、、やはりそういうことだったようです。



口野の金櫻神社の歴史のまとめ(推測)
おぼろげながらでありますが、金櫻神社がこの地に鎮座するようになった歴史の輪郭くらいは見えてきたような気がします。

甲斐国から口野にやってきた武田氏の家臣の人達が、故郷で信仰していた金峰山に鎮座する金櫻神社を分祀。金峰山が本宮の甲斐国金櫻神社にならい、金櫻山の山頂に金櫻神社を造営したのではないでしょうか、、、。

金峰山に鎮座する金櫻神社は山の神様ですが、小さな漁村の小さな山に勧請され、漁を生業とする人たちによって、大漁・豊漁、漁業の安全を祈願され、海の守り神として信仰されるようになっていったのではないかと想像します。



ソライロノート
というわけであくまでも推測の域を出ませんし、いくつかの謎は相変わらず謎のままではありますが、それでもいろいろなことがつながってきて少しずつ金櫻神社の輪郭が浮かび上がってきたような気がします。

もっと知りたいこと、解明したいこと、調べてみたいところも多々残っておりますが、金櫻神社と金櫻山にまつわる話は一旦これで一区切りとします。山梨の金櫻神社にも行ってみたいし、久しぶりに金峰山五丈岩にも登ってみようかなと。引き続き折りに触れ、いろいろと調べていきたいと思います。何か成果がありましたらまた記事にしたいと思います。


(1)金櫻神社編
(2)金櫻山編
(3)旧金櫻神社編
(4)歴史編

Leave a reply